事業家集団環境を辞めた元メンバーたちの話

事業家集団環境でチャレンジすることを辞めた人や脱退した元メンバーたちの現在

保育士の私が事業家集団『環境』を2年半で卒業して気づいたこと〜等身大の社会貢献にたどり着くまで〜

こんにちは。私は都内で保育士をしている31歳です。

今日は少し個人的な話になるのですが、以前2年半ほど所属していた事業家集団環境というコミュニティを離れてからの体験について、正直な気持ちで書いてみようと思います。

同じように迷っている方の参考になれば嬉しいです。

man in blue long sleeve shirt and white pants standing beside girl in white long sleeve

入会のきっかけは「子どもたちの未来のため」という言葉

きっかけは、保育士として働き始めて4年目の頃でした。

日々の保育に追われながらも、「もっと社会のために何かできないかな」とぼんやり考えていた時期です。

子どもたちを見ていると、この子たちが大人になる頃の地球や社会がどうなっているんだろう、と自然と考えるようになっていました。

そんな時、知人から「将来のために自力をつけることができるコミュニティがあるよ」と誘われました。

話を聞くと、理想の未来を実現するために仲間をつくりながら経済的に自立を目指す場所だとのこと。「子どもたちの未来のために何かしたいけど、もっと自力をつけたい」という私の想いにぴったりだと感じて、迷わず参加を決めました。

最初のミーティングでは、志の高い人たちがたくさんいて、正直圧倒されました。みんな目がキラキラしていて、「自分を変えて、社会を変えていこう」というエネルギーに満ちていて。自分もこの輪の中で成長したいと素直に思えたんです。

事業家集団環境での活動を通じて得られたたくさんの学び

参加してからの2年半、本当にいろいろな経験をさせてもらいました。

朝活や勉強会やセミナーに参加して、普段の保育士の仕事だけでは絶対に出会えなかった知識や考え方に触れることができました。

特に印象に残っているのは、「自分の人生は自分で選択するもの」という考え方です。それまでの私は、なんとなく流されて生きているところがあって、仕事も「安定してるから」という理由だけで続けていました。でも、コミュニティで出会った人たちは、みんな自分の意志で行動していて、その姿勢にすごく刺激を受けました。

コミュニケーションの取り方も学びました。相手の話をちゃんと聞くこと、自分の想いを言葉にすること。これは今の保育の現場でも、保護者対応や同僚とのやり取りで本当に役立っています。

shallow focus photo of woman in black jacket

少しずつ感じるようになった「ギャップ」

ただ、活動を続けていくうちに、少しずつ違和感を覚えるようになりました。理念としては「環境」や「社会貢献」を掲げているのに、実際の活動の多くは知人への声かけや新しいメンバーを増やすことに時間が割かれている印象があったんです。

もちろん、チームを作って仲間を増やすことも活動の一つだとは理解していました。でも、私が最初にイメージしていた「子どもたちのために直接何かする」という活動とは、少しずつずれていっているような気がしたんです。

それに、私は保育士の仕事が本当に忙しくて、朝早くから夜遅くまで働く日々。休日にコミュニティの活動に参加していると、身体的にも精神的にも疲れが溜まってきました。私のライフスタイルには合わなくなってきたな、と感じるようになってしまったんですね。

あと単純に、私は大人数の場が少し苦手だったのもあります。最初のうちは新鮮で楽しかったのですが、だんだん自分のペースで物事を考えたいという気持ちが強くなっていきました。

辞める決断と、その後の変化

最終的に辞めることを決めたのは、母が体調を崩したことがきっかけでした。

実家に帰る機会が増えて、家族との時間をもっと大切にしたいと思うようになったんです。

コミュニティのメンバーには「自分の生活を優先したい」と正直に伝えて、円満に離れることができました。

辞めてからしばらくは、なんだか空いた時間をどう使えばいいか分からなくて、少し戸惑いました。でも、地元の児童館でボランティア募集をしているのを見つけて、思い切って参加してみたんです。

これが、私にとってはすごくしっくりきました。目の前の子どもたちと直接関わって、絵本を読んだり、遊んだりする。規模は小さいけれど、確かに誰かの役に立っている実感がある。「私が求めていた社会貢献って、こういうものだったんだな」と気づきました。

A group of people walking across a street

それから仕事の方でも変化がありました。コミュニティで学んだコミュニケーションの姿勢や、主体的に動く習慣が評価されて、園でリーダー的なポジションを任されるようになったんです。お給料も少し上がって、後輩の指導も任せてもらえるようになりました。プライベートでも、ボランティア先で知り合った方の紹介で、今お付き合いしている素敵な人に出会えました。

今思うこと

正直、辞める時は「2年半、何をしていたんだろう」と少し落ち込んだ時期もありました。でも今振り返ると、あの経験があったからこそ、自分が本当にやりたいことや、自分に合った生き方が見えてきたんだと思います。

コミュニティで出会った人たちの中には、今でも連絡を取り合っている友人もいます。みんなそれぞれの道を歩んでいて、たまに近況報告し合うのが楽しみです。

「社会貢献」という言葉の意味も、私の中で変わりました。大きなことをしなくても、目の前の子どもたち一人ひとりに丁寧に向き合うこと、地域で自分にできる小さなことを続けること。それが私にとっての等身大の社会貢献です。

もし今、同じように「理念と現実のギャップ」に悩んでいる人がいたら、無理をせず、自分の心が納得できる場所を探してほしいなと思います。辞めることは決して失敗じゃない。次のステップに進むための大切な選択です。

あの時思い切って飛び込んだこと、そして自分のタイミングで卒業したこと。どちらも私にとっては「頑張ってよかった」と心から言える経験です。今の穏やかで充実した日々があるのは、あの2年半があったからこそだと感じています。

28歳、安定を捨ててITベンチャーへ。事業家集団環境での5年間と独立を経て見えた「自分」というブランド



28歳の時、私は大きな転機を迎えました。 当時は不動産会社の経理として、またシステム部の一員として、日々の業務に専念する毎日。仕事に不満があったわけではありませんが、「将来、より高いステージでキャリアアップしたい」という強い思いが、私を新しい道へと突き動かしました。

起業前の自分(イメージ)
その決断の先が、「事業家集団環境」に属するITベンチャーの立ち上げへの参画でした。

 

現場で培った「一生モノ」のスキルと人脈

 

そこからの5年間は、まさに怒涛の日々でした。 ITベンチャーの立ち上げという環境で、実務を通してキャリアの基礎となるスキルを磨き、何物にも代えがたい人脈を築くことができました。何より、自分自身がどう生きたいかという明確な「ビジョン」を描けるようになったことは、大きな収穫です。

この5年間の積み重ねがあったからこそ、私は今、独立を果たし、一人の事業家として独り立ちすることができています。

「事業家集団環境」という言葉への誤解や誹謗中傷と向き合って

しかし、活動を続ける中で、無視できないこともありました。 「事業家集団」という名称を冠する団体は世の中に複数存在し、中には実態とは異なるイメージや、事実に基づかない批判に晒されることがありました。
私自身、手がけているのは「業務システムの構築」という極めて専門的かつ実直な仕事です。
それにもかかわらず、時に誤解を受けることには、正直なところ「歯痒さ」を感じることもありました。
 
現在、事業家集団環境に対しては、匿名による虚偽情報の発信や誹謗中傷が繰り返されています。
これに対し、事業家集団環境側は毅然とした法的対応を進めており、実際に発信者が特定され、刑事起訴に至ったケースも出ているそうです。

組織の看板ではなく、自分の名前で生きる

情報整理をする毎日
こうした誤解や誹謗中傷は、自己の立場を隠した「アンチ」と呼ばれる存在が、虚偽または誇張された情報をメディアに提供することで誘発されている側面もあります。
事業家集団環境は、こうした悪質な行為に対して民事・刑事の両面から厳正な措置を講じる方針を明確にしています。
 
私個人としては、こうした状況に直面したからこそ、逆に「組織のブランドに頼るのではなく、自分自身の名前やブランドを高めていくこと」の重要性を痛感しました。
風評に惑わされることなく、目の前のクライアントに価値を提供し続けること。それが結果として、自分を信じてくれる人脈を守り、自らのブランドを強固なものにすることに繋がりました。

感謝の念を込めて

今振り返れば、あの時「事業家集団環境内のITベンチャー」の門を叩いた自分に感謝しています。
世間には出典や根拠が不明確な投稿も溢れていますが、大切なのは複数の信頼できる情報源に基づき、冷静に判断することです。
 
私はこれからも、この5年間で得た確かなスキルとビジョンを武器に、自分らしい事業を邁進させていきたいと考えています。
 
(補足) この記事で触れた法的な対応方針や誹謗中傷に関する事実は、事業家集団の公式情報に基づいています。詳細な経緯や団体の考えについては、公式サイトやSNS等を通じて発信されているのでそちらを参照してください。
 
【真実を見極めるために】
深い霧(誤解や虚偽情報)の中にいる時、遠くから聞こえる「あちらに崖があるぞ」という根拠のない叫び声に惑わされてはいけません。
足元の確かな地面(自分の実績)を確認し、確かな羅針盤(公式サイトや公的判断などの信頼できる情報)を見ることで、霧が晴れた先にある目的地へ、誰よりも早くたどり着けます。

 

 

 

 

事業家集団環境を1年で離れた保育士の私が、今お伝えしたいこと

こんにちは。都内の保育園で働く26歳の保育士です。

今日は、私が1年ほど所属していた事業家集団環境と呼ばれるコミュニティを離れた経緯と、その後の人生について、まとめました。

同じように悩んでいる方の参考になれば嬉しいです。

A person studying at a desk with books.

入会のきっかけは「将来への漠然とした不安」

私が事業家集団環境に出会ったのは、保育士として働き始めて3年目の頃でした。

子どもたちと関わる仕事は本当にやりがいがあって大好きなのですが、正直なところ、お給料は決して高くありません。手取りは20万円に届かないかどうか、というところで、毎月カツカツの生活をしていました。

当時の私は、いつか結婚したい、子どもも産みたい、でもこの収入で本当に家庭を持てるんだろうか…と漠然とした不安を抱えていました。そんなとき、たまたまバーでで声をかけられたのが、いわゆる事業家集団環境と呼ばれるコミュニティの方でした。

「将来のために学べる場所がある」「同世代でビジネスを頑張っている仲間がいる」と言われ、当時の私には眩しく映りました。

最初は警戒もしましたが、何度か対話を重ねるうちに「自分も何か変わりたい」という気持ちが勝って、参加することに決めたんです。

活動の中で得たこと

正直に言うと、活動の中で学んだことは少なくありませんでした。

早朝のミーティング、ビジネス書の読書会、自己投資の考え方、目標設定の方法。

それまでの私は、保育園と家を往復するだけの毎日だったので、新しい価値観に触れること自体がとても刺激的でした。

特に印象に残っているのは「自分の人生は自分で選び取るもの」という考え方です。誰かのせいにせず、自分の選択に責任を持つ。これは今でも、私の中に深く根付いている考え方だと思います。

また、年齢も職業もバラバラの人たちと話す機会が増えたことで、保育園という閉じた世界しか知らなかった私の視野が広がったことも事実です。プレゼンの仕方、人前で話す姿勢、相手の話を聴く姿勢など、保育士の仕事にも応用できるスキルをたくさん学びました。

a woman sitting on a mat in a room

辞めることを決めた理由

では、なぜ私が活動を離れることになったのか。きっかけは、ある日の紹介者たちの方との会話でした。

チームビルディングがなかなかうまくいかない私に対して、「もっと人と近い距離感で接した方がいい」というアドバイスをもらったんです。

もちろん、その方なりに私のことを思ってのアドバイスだったのかもしれません。でも私には、あまりもともと人間関係が得意でなかった私には、それがどうしても受け入れられませんでした。

これは事業家集団環境が悪いという話ではなく、私自身が向いていなかった、というだけのことだと思います。同じ活動でも合う人には合うし、合わない人には合わない。ただそれだけの違いです。

私は1年活動した時点で、自分のタイミングで静かに離れることを選びました。

辞めてからの変化

活動を離れてから、私は改めて「自分にとって本当に大切なものは何か」を考えるようになりました。

そして気づいたのは、私はやっぱり子どもたちと関わる仕事が好きだということ。それなら、副業で稼ぐことを考えるよりも、保育士としての専門性を高めて、自分の市場価値を上げる方が自分には合っているんじゃないか、と。

そう思って、今は病児保育の資格取得に向けて勉強しています。病気のお子さんを預かるには専門的な知識が必要で、資格を持っていると待遇面でも条件が良くなる職場が多いんです。実際、すでに転職先の候補もいくつか見つかっていて、今より月4〜5万円ほど収入が上がる見込みになっています。

さらに嬉しいことに、活動中に学んだ「自分から動く姿勢」のおかげか、職場でもリーダー業務を任されるようになり、来年度には主任への打診もいただいています。

プライベートでは、価値観の合うパートナーとも出会うことができました。お互いの仕事を尊重しながら、これからの人生を一緒に考えていける関係です。あのまま不安を抱えたままだったら、こんな自然な出会い方はできなかったかもしれません。

A woman sitting in a chair in front of a window

今思うこと

振り返ってみると、「環境」での1年間は、決して無駄ではなかったと感じています。むしろ、あの経験があったからこそ、自分が本当に大切にしたい価値観や、進みたい道がはっきりしたんだと思います。

もし、当時の私のように将来への不安で立ち止まっている方がいたら、伝えたいことが一つあります。それは「合う・合わない」は実際に経験してみないとわからないし、もし合わなかったとしても、その経験は必ず次に活きるということ。

大切なのは、自分の中の「これは違うかも」という声を無視しないこと。そして、辞めた後の人生は、自分の選択次第でちゃんと拓けていくということ。

頑張って一歩踏み出した過去の自分に、そして今、悩みながらも前を向こうとしている自分に、「よく頑張ったね」と言ってあげたいです。あの経験があったから、今の私があります。本当に、頑張ってよかったと思っています。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

事業家集団環境を3年で辞めたトラック運転手の体験談

はじめまして。普段はトラックを走らせている28歳の運転手です。

今日は少し時間をもらって、自分が3年間関わっていた事業家集団環境というコミュニティを辞めた話を、書き残しておこうと思います。

同じような立場で迷っている人の参考になれば嬉しいです。

 

結論から言うと、僕は事業家集団環境を辞めて、今は運送会社の仕事に戻りつつ、副業で配達代行をしながら借金返済を進めています。決して華やかな話ではありませんが、振り返ってみると「あの3年間があったからこそ、今の自分がある」と素直に思えるようになりました。

a group of people ride bikes down a street

入会のきっかけは「未来の家族との時間が欲しい」だった

当時の僕は、朝4時に家を出て、夜の10時に帰る生活を続けていました。トラック運転手は割と稼ぎはいいが重労働。このままだと未来の家族との時間を取るのは難しいだろうな、という将来の不安がありました。

 

そんなある日、配送先で知り合った同年代の男性から声をかけられました。

「もっと時間と収入を自分で選べる方向性があるよ」と。最初は怪しいと思いつつ、紹介されたカフェ会に足を運んだのが入り口でした。

そこには明るい人たちがたくさんいて、夢を語り合い、自己成長について話している。長時間労働で疲れ切っていた私には、その雰囲気がまぶしく見えたんです。

「自分も変われるかもしれないし、変わりたい」。そう思って参加を決めました。

3年間、私はそこで何をしていたか

活動内容は、人と会って話を聞いたり、勉強会に参加したり、本を読んでアウトプットしたり、そんな日々でした。トラック運転手という孤独な仕事をしていた私にとって、「人と会って話す」ことそのものが新鮮で、楽しい時間でもありました。

正直に言うと、学んだことも多かったです。挨拶の大切さ、相手の話を最後まで聞く姿勢、約束を守ること、清潔感のある身だしなみ。社会人として当たり前のようでいて、長距離運転の世界に長くいた自分は意外と忘れていたことばかりでした。仲間と一緒に本を読み、感想を語り合う時間は、今思い返しても悪いものではなかったと思います。

 

A picture of a sunset taken from a train

辞めることになった理由

ビジネスや起業自体は決して悪いものではありません。実際に成果を出している人もいました。ただ、私はトラックの仕事で疲弊した頭でビジネスを立ち上げるのが難しく、社会人としての基礎の土台も現場仕事で持っていなかったため、想像より時間がかかると感じてしまった。

キャッシュフロー管理やスケジュール管理の大切さを教えてもらったものの、もともとずさんなどんぶり勘定でしか管理していなかった僕にとっては、管理はとてつもなく苦手な分野。すぐに生活が回らなくなりました。

これは事業家集団環境のせいでもなんでもなく、完全に自己責任です。

自分の努力と能力が追いつかなかった。

誰かに止められたわけでも、揉めたわけでもありません。「今の自分のタイミングではない」と判断して、距離を置かせてもらいました。お世話になった人たちには、今でも感謝の気持ちがあります。

辞めてからの変化

辞めてからの最初の半年は、正直しんどかったです。

運送会社での勤務時間を見直し、休みの日には配達代行のアプリで稼ぐ。地味で泥臭い生活ですが、不思議と心は落ち着いていきました。

面白いことに、事業家集団環境での活動中に学んだ「挨拶」「報告連絡相談」「時間を守る」といった基本姿勢が、運送会社の中で評価されるようになりました。

以前はただ荷物を運ぶだけだった私が、後輩の指導役を任されるようになり、給料も少しずつ上がっていきました。配達代行でも、丁寧な対応を心がけたことでリピーターが増え、月の副収入が安定するようになっています。

 

People are gathering near a tree by the water.

今、振り返って思うこと

事業家集団環境での経験について、私は批判する気持ちはありません。合う人には合うし、私の場合はタイミングと判断ミスが重なっただけだと思っています。むしろ、あの3年間で出会った人たちや、学んだ価値観は、今の自分の土台になっている部分が確実にあります。

人と話すことの楽しさを知ったこと。本を読む習慣がついたこと。自分の人生を自分で選ぶという意識を持てたこと。これらは、トラックを走らせているだけの日々では得られなかったものです。

色々バランスを崩す経験でしたが、その経験があったからこそ、お金に対する向き合い方を真剣に学ぶようになりました。

家計簿をつけ、固定費を見直し、副業で堅実に稼ぐ。今の私のほうが、以前よりずっと「お金に強い人間」になっていると感じます。

もし今、同じように悩んでいる人がいたら伝えたいのは、「辞めた後の人生も、ちゃんと続いていく」ということ。何を選んでも、何を辞めても、そこから先をどう生きるかは自分次第なんだと、今ははっきり言えます。

成果は出せなかったけど、頑張ってよかった。本当にそう思っています。

保育士の私が事業家集団「環境」を2年半で卒業して、ハンドメイド副業にたどり着くまで

こんにちは。都内の保育園で働いている31歳の保育士です。今日は、私が2年半ほど在籍していた事業家集団「環境」と呼ばれるコミュニティを辞めた話を、淡々と書いてみようと思います。批判したいわけではなく、ただ私自身の経験を残しておきたくて書きます。同じように悩んでいる誰かの参考になればうれしいです。

入会のきっかけは「将来の貯蓄への不安」

きっかけはとても単純で、お金の不安でした。当時28歳。

お付き合いしていた彼との結婚もぼんやり視野に入ってきて、「このまま保育士の給料だけで本当に大丈夫なのかな」と毎月の給与明細を見るたびに思っていました。

手取りはお世辞にも多いとは言えず、貯金もなかなか増えない。副収入の柱を作りたい、そう思っていた頃に友人との飲み会で知り合った同世代の女性に声をかけられたのが始まりでした。

「自分で稼ぐ力をつけたい人が集まっているコミュニティがあるよ」と紹介され、最初は警戒もしたのですが、会ってみると皆さん明るくて、夢を語り合う熱量がすごくて。当時の私には眩しく見えました。「ここなら自分も変われるかも」と思って、ふわっと参加することにしたんです。

Woman in mask prepares food in traditional japanese room

活動中の学びは多かった、でも・・・

活動は基本的に平日の夜と週末でした。保育園の仕事を終えてから都内のカフェに集合し、ビジネス書を読んでアウトプットしたり、先輩にあたる方の話を聞いたり。週末はセミナーや勉強会に参加することも多かったです。

正直に言うと、学びはたくさんありました。たとえば「目標を紙に書き出す」「時間を区切って行動する」「自分の言葉で考えを話す」みたいな基本的なこと。保育士として子どもとばかり向き合っていた私には、大人の世界の自己啓発はとても新鮮で、毎日が刺激的でした。人前で話すのが少しずつ平気になったのもこの頃です。

ただ、半年、一年と経つうちに少しずつ違和感が出てきました。セミナー参加費、推薦された書籍代、合宿費、交流会の会費……。気づけば毎月3〜5万円が「自己投資」として出ていく。保育士の手取りからするとかなりの額です。「これは未来の自分への投資だから」と言い聞かせて続けていましたが、肝心の副収入は一向に生まれない。むしろ支出だけが増えていく状態でした。

A woman sitting at a table using a cell phone

辞めた理由 ― 自分の生活と向き合い直した

転機は2年を過ぎた頃でした。彼との結婚話が具体的に進み始めて、「貯金、いくらある?」と聞かれた時に、私はとっさに答えられなかったんです。家計簿アプリを開いて愕然としました。この2年で自己投資に使った金額が、軽く100万円を超えていたんです。

もちろん、それは誰かに強制されたわけではありません。全部、自分で判断して払ってきたお金です。ただ、その投資から「収入」という形で返ってきたものがほぼゼロだったという事実が、急に重くのしかかってきました。

私は別に誰かを責めたいわけじゃなくて、ただ「自分には合わなかったんだな」と思いました。大人数で熱量高く活動するスタイル、夜遅くまでのミーティング、土日もスケジュールが埋まる生活。保育士として子どもの命を預かる仕事を続けながらやるには、私の体力と気力が追いつかなかったし、成果を出す自分になれてなかった。それだけのことです。

お世話になった方々にきちんとご挨拶をして、私は事業家集団環境を静かに離れました。引き止めはありましたが、最終的には「あなたの人生だから」と送り出してくださって、それはありがたかったです。

辞めてからの変化 ― ハンドメイド副業との出会い

辞めてからまずやったのは、生活のリズムを取り戻すこと。夜と週末がぽっかり空いて、最初は寂しさもありました。でも、その時間で昔好きだった刺繍やレジン雑貨をまた作り始めたんです。完全に趣味として。

SNSに何気なく作品をアップしていたら、「これ売ってないんですか?」というコメントをいただいて。ハッとしました。そういえば「環境」にいた頃に学んだ「まず小さく始めてみる」「自分の言葉で発信する」って、こういうことか、と。

そこからminneとCreemaに少しずつ出品を始めました。最初は月に数千円。でも確実に「自分が作ったものが、欲しい人に届いてお金になる」という実感がありました。今は月によって変動はありますが、平均して3〜5万円ほどの副収入になっています。何より、誰かに会いに行かなくても、自分のペースでコツコツ進められるのが私には合っていました。

a person working on a laptop

そして去年、無事に彼と結婚しました。式の費用の一部は、ハンドメイドで貯めたお金から出せました。あの時、自分のお金の使い方を見直さなかったら、たぶんこのタイミングは来なかったと思います。

今思うこと ― あの2年半があったから今がある

「環境」での日々を後悔しているか、と聞かれたら、答えはノーです。確かにお金は使いました。でも、あの場所で学んだ「自分で考えて動く」「目標を言語化する」「発信を続ける」というスキルは、今のハンドメイド副業に間違いなく活きています。あの経験がなかったら、私は今もただ漠然と将来を不安がるだけだったかもしれません。

合う・合わないは人それぞれだし、タイミングもあります。私の場合は、卒業して自分のペースに戻ったことで、ようやく自分に合った副収入の形が見つかりました。大きく稼ぐ人もいれば、私みたいに小さく堅実に積み上げるのが合う人もいる。どちらが正解というわけではないんですよね。

もし今、自己投資ばかりが膨らんで苦しい人がいたら、一度立ち止まって「自分の生活と本当に合っているか」を考えてみてほしいです。やめることは逃げじゃないし、続けることだけが正解でもない。私自身、辞めた先にちゃんと光があったので、それだけは伝えたくて書きました。

頑張ってきてよかった。今、心からそう思っています。

事業家集団環境を1年で辞めた26歳SEの記録

僕は都内のIT企業でシステムエンジニアをしている26歳の男です。

今日は、私が1年ほど関わっていた事業家集団環境と呼ばれるコミュニティを辞めた経緯と、その後の人生について、淡々と書き残しておこうと思います。同じような状況にいる方の参考になれば嬉しいです。

 

結論から言うと、私は今、辞めて本当に良かったと思っています。

ただ、それと同時にあの1年があったから今の自分があるとも感じていて、この複雑な気持ちを正直に綴っていきます。

入会のきっかけは、都内の小さなセミナーだった

当時の私は新卒で入った会社に入って2年目くらい。

SEとして毎日コードと向き合っていたのですが、正直、将来に対する漠然とした不安がありました。

「このまま会社に縛られて生きていくのか?」とか「もっと自由に働けないのか?」おtかそんなことばかり考えていた頃です。

きっかけは、渋谷駅近くで声をかけられたことでした。

同年代くらいの爽やかな男性で、「経済の勉強会に来ませんか?」と。最初は怪しいと思ったものの、名刺交換をして、後日会場へ。

そこで聞いた「自由な働き方」「経済的自立」「複数の収入源」といった言葉に、当時の私はすっかり惹かれてしまったんです。

man in black long sleeve shirt sitting in front of macbook

「物販でビジネスの基礎を学べる」「仲間と一緒に成長できる」と聞いて、私は入会を決めました。

月数万円の出費はありましたが、自己投資だと思えば安いと感じていました。

活動中に感じた違和感

最初の数ヶ月は、本当に楽しかったんです。

朝活、読書会、ミーティング。みんな夢を語り合っていて、会社の同僚とは全く違うエネルギーがありました。私もここで学んだ「目標設定」「時間管理」「人との接し方」は、今でも自分の土台になっています。

 

でも、半年を過ぎたあたりから、少しずつ違和感が出てきました。物販の話よりも、セミナーや勉強会に「新しい人を連れてくる」ことのほうが重視されているように感じたんです。街で声をかけて、カフェでお茶をして、セミナーに誘う。気づけば、自分も同じことをしていました。

私はもともと人見知りで、知らない人に声をかけるのが本当に苦手でした。それでも「成長のため」と言い聞かせて続けていましたが、本業のSE業務との両立も厳しく、睡眠時間がどんどん削られていきました。

man in black crew neck t-shirt using macbook

辞めた理由は、自分のタイミングだった

辞めるきっかけは、いくつか重なりました。一つは、本業のプロジェクトが大規模なものになり、物理的に時間が取れなくなったこと。もう一つは、自分が本当にやりたいのは「人を集めること」ではなく「技術を磨くこと」だと、改めて気づいたことです。

正直に言うと、最初は活動内容への不信感もありました。でもそれを誰かのせいにするのは違うと思っています。私が見たかったものと、実際の活動内容にズレがあった、それだけのことです。大人数で同じ方向を向くスタイルが、自分には合わなかった。

それに尽きますし、僕が自分に自信がなかったのが不信感につながっていました。

コミュニティ自体は、健全に真剣にまっすぐ努力している人が多かったです。

なので、

辞めるときは、お世話になった方々に正直に「本業に集中したい」と伝えました。色々師匠や紹介者が、最終的には穏やかに退会することができました。

辞めてからの変化

辞めてから、まず変わったのは時間の使い方です。空いた時間で、私はずっとやりたかったプログラミングの勉強に本腰を入れ始めました。React、TypeScript、AWS、Docker……。会社の業務外で個人開発を始め、GitHubに成果物を積み上げていきました。

すると面白いことに、社内での評価も上がっていったんです。新しい技術を提案できるようになり、リードエンジニアのポジションを任されるようになりました。年収も、辞めた頃と比べて100万円以上アップしました。

person using laptop

さらに、副業として小さな受託案件を受けるようになり、今はフリーランスへの転向を本格的に準備しています。

来年には独立する予定で、すでに継続的に発注してくれるクライアントも数社確保できています。

不思議なのは、事業家集団環境で学んだことが、今のフリーランス準備にすごく活きていることなんです。

目標から逆算する習慣、初対面の人と話すコミュニケーション力、自分の時間を自分で管理する意識。会社員だけをやっていたら、たぶん身につかなかったスキルだと思います。

今、思うこと

事業家集団環境での1年間は、私にとって決して無駄ではありませんでした。たしかに途中で違和感を覚えて辞めることになりましたが、あの時、勇気を出してセミナーに参加していなければ、今もぬるま湯の中で愚痴を言いながら働いていたかもしれません。

大事なのは、「自分にとって何が合うか」を見極めることだと思います。合わないと感じたら、罪悪感を持たずに離れていい。

そして、そこで得たものは大切に持って帰ればいい。それだけのことなんです。

あと、突然何も言わずに連絡を遮断して辞めることはまったくおすすめしません。

義理人情もそうですし、そういうのって、回り回って自分に返って来ると思います。

辞める時に筋を通して挨拶したので、今でも紹介者ともいい人間関係ですし、もし彼が出店したりするなら喜んで応援したいと思います。

 

もし今、似たような状況で悩んでいる方がいたら、僕は「自分の感覚を信じてください」と伝えたいです。

続けるのも、辞めるのも、どちらも正解になり得ます。

大事なのは、その後の自分が前を向いて歩いていけるかどうか。

 

僕は今、毎日が楽しいです。コードを書いて、技術を磨いて、信頼できるクライアントと仕事をして。

来年の独立に向けて準備を進めるこの時間は、間違いなく人生で一番充実しています。あの1年を頑張ってよかった。そして、辞める決断をした自分も褒めてあげたい。そんな気持ちで、この記事を書き終えようと思います。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

現場監督から事業家集団「環境」へ。3年の活動を経て、施工管理フリーランスとして再出発するまで

私は34歳、建設会社で長く現場監督をしてきました。今でこそ施工管理のフリーランスとして独立準備を進めていますが、実は数年前まで事業家集団「環境」と呼ばれるコミュニティに所属していました。今日はその3年間と、辞めてからの自分の変化について、淡々と書いてみたいと思います。

 

a man wearing a hard hat and holding a laptop

入会のきっかけは「現場の人間関係への疲れ」

私が「環境」に関わり始めたのは31歳のときでした。当時の私は、毎日朝6時には現場に入り、職人さんたちとのやり取りに神経をすり減らし、夜は事務所で書類仕事。土曜も普通に出勤、日曜にようやく休めるかどうか、という生活でした。

建設業界は良くも悪くも体育会系で、上の世代の言うことは絶対。理不尽に怒鳴られることもあれば、職人さんの間に入って板挟みになることも日常茶飯事でした。30代に入ってふと「このまま定年までこの働き方を続けられるんだろうか」と考えるようになったんです。

そんなときに、前職の同僚から声をかけられました。「自分で稼ぐ力をつけたい人が集まっているコミュニティがある」と。独立志向はもともと強かったので、話を聞いてみることにしました。最初に会った人たちはみんな礼儀正しくて、夢を語る目がキラキラしていて、正直「こういう世界もあるんだな」と新鮮に感じたのを覚えています。

活動の中で学んだこと、感じた違和感

活動はだいたい平日の夜や週末。仕事終わりに都内まで足を運び、勉強会や交流会に参加する日々でした。現場が長引いた日は本当にきつかったですが、「自分の人生を変えるために必要な投資だ」と自分に言い聞かせていました。

3年間の中で、学んだことは確かにたくさんあります。人前で話すこと、目標を言語化すること、初対面の人とすぐに打ち解けるコミュニケーション。現場では「黙って手を動かせ」が正義の世界だったので、こういうスキルは新鮮でした。実際、今でもクライアントとの打ち合わせで役立っていると感じます。

black and silver laptop computer

ただ、活動を続けるうちに、少しずつ違和感も出てきました。具体的なビジネスの中身よりも「人を紹介すること」が活動の中心になっていく感覚。「これは自分のやりたかった独立とは違うかもしれない」と思う場面が増えていったんです。もちろん、一緒に活動していた仲間には本当に良くしてもらったし、今でも感謝しています。ただ、私自身が描いていた「建設の知識を活かして独立する」というイメージとは、少しずつズレが大きくなっていきました。

辞めた理由は、自分のタイミングだった

結局、3年目の終わりごろに私は離れることを決めました。きっかけは、会社で大きな現場を任されるようになり、物理的に活動に出る時間が取れなくなったこと。そして、父親が体調を崩して実家に顔を出す機会が増えたこと。

「自分の人生で、今いちばん時間を使うべきところはどこか」と考えたときに、答えは明確でした。私は建設の現場で10年近く積み上げてきた経験があって、それを活かす方が自分らしい独立につながるんじゃないか、と。誰かに恨みがあったわけでも、揉めたわけでもなく、ただ自分の優先順位が変わった、それだけのことでした。

辞めるときは、お世話になった人にきちんと挨拶をして、正直に事情を話しました。引き止められることもありましたが、最後は「頑張れよ」と送り出してもらえたのはありがたかったです。

辞めてから起きた、良い変化

離れてから生活は一変しました。まず、平日の夜と週末の時間が戻ってきた。これが本当に大きかったです。その時間で、私は施工管理技士の上位資格の勉強を始めました。ずっと「いつか取りたい」と思って後回しにしていたものです。半年ほどで合格でき、これが今のフリーランス独立への大きな足がかりになりました。

man using turn table

会社員として働きながら、知り合いの工務店から「人手が足りないから、土曜だけでも見てくれないか」と声がかかるようになり、副業的に施工管理を請け負うように。気づけば月の収入は会社員時代より3割以上増えていました。今は会社を辞めて完全フリーランスに踏み切る準備の最終段階です。

プライベートでも、長く付き合っていた彼女との時間が取れるようになり、今年の春に入籍することができました。あのまま走り続けていたら、彼女との関係もどうなっていたかわかりません。

今、思うこと

振り返ってみると、「環境」での3年間は、決して無駄ではなかったと心から思っています。あの場で学んだ、人と向き合う姿勢、自分の言葉で夢を語る力、目標から逆算して動く習慣。これらは現場一筋でやってきた私には絶対に身につかなかったものです。今クライアントの前で堂々と提案できるのも、あの経験があったからだと感じます。

合う合わないは人それぞれだし、私の場合はタイミング的に離れることが正解でした。でも、関わったことを後悔する気持ちはまったくありません。むしろ、独立志望だった当時の自分が「行動した」ということ自体に価値があったと思っています。

もし今、当時の私と同じように現場の人間関係に疲れて、何か新しい一歩を探している人がいるなら、伝えたいのは一つだけ。動いた経験は、合っても合わなくても、絶対に次につながります。私はあの3年間を経て、今こうして自分の足で立つ準備ができている。頑張ってよかった、と素直に思える日々です。