事業家集団環境を辞めた元メンバーたちの話

事業家集団環境でチャレンジすることを辞めた人や脱退した元メンバーたちの現在

【訳あり】事業家集団環境をやめました。

事業家集団環境をやめた元メンバーが活動を始めたときの気持ちのイメージ

30歳を迎える年に、約5年活動した事業家集団環境をやめました。

活動を始めた理由からやめた理由、そしてやめた後について書いてみました。

 

注)この記事は、あくまでも僕の主観を元に書いているので、事業家集団環境で成果を出したい人は、直接学んでいる師匠に話を聞いてください。

 

 

事業家集団環境で学び始めた理由

事業家集団環境をやめた元メンバーが師匠から学ぶと決める前に迷っていたときの心の線路のイメージ

25歳の誕生日を迎えた時、僕は自分の将来について真剣に考えるようになりました。
学生時代は学生団体を立ち上げ、ベンチャーに入社し、平均年齢が27と若い社内で役職につくようになった頃です。
上司から期待され、仕事が増える毎日。
尊敬する仕事ができる上司を見ると、僕以上に仕事をしているのがわかります。
毎日終電近くまで仕事をし、時には土日も自宅で仕事をする。
そのことについて不満はなかったが、ふと、立ち止まってみると、この先の未来に何が待っているのか気になりだしてもいました。

師匠に出会ったのはちょうどその時です。
たった5歳という年齢差で、圧倒的に実績が違いました。
学生団体を立ち上げた時に多くの社長に出会っていて、当時の会社の社長とも懇意にさせて頂いていたので目利きができるという自負がありましたが、起業家として、事業家として、オーラが違う、と思ったのは師匠が初めてでした。

師匠から学ぶと決めた理由は、もちろん師匠の人柄もあります。
プライドの高い僕の話を否定することなく親身に聞いてくれたことや、仕事の合間であれどわざわざ時間を割いてくれたのが素直に嬉しかったです。
同時に、ビジネスを立ち上げて軌道に乗せている実績や、それを指導した結果、周りの人たちも同じようにビジネスを立ち上げて軌道に乗せているということが大きかったと思います。

『金持ち父さん貧乏父さん』『金持ち父さんのキャッシュフロークワドラント』を読み、”ビジネスオーナーは雇用を生み出すことができる”という一文に惹かれた僕です。
自分の仕事を通して雇用を生み出すことは日本経済に貢献できる。
それだけでなく、ビジネスオーナーを輩出することができるなんて、従業員を生み出すよりも数万倍も経済効果があるのではないか、と師匠の実績を見て燃えたのを今でも覚えています。

自分がビジネスを立ち上げて、ビジネスオーナーになりたい。
さらに、ビジネスオーナーを輩出することで日本に貢献したい。

それが事業家集団環境で学び始めた理由でした。

 

事業家集団環境を継続した理由

事業家集団環境をやめた元メンバーが活動を継続するか迷っていたときの心の線路のイメージ

師匠の元で学んだ5年間を振り返ると、楽しかったことの思い出の方が多いと思います。

恋愛だって同じです。
付き合っているときは相手の嫌な面が気になったり、なぜこうしてくれないのかと彼女に当たってしまうこともあり、嫌なことばかりが僕を悩ませます。
しかし別れた途端、なんとも現金なもので、走馬灯のようにいい思い出が頭に浮かび、本当に別れてよかったのだろうかと引きずってしまうのは僕の悪い癖なのです。

どんなビジネスを立ち上げるにせよ、コミュニティを作ることが大事だから、とチームビルディングから学びました。
さらに当時、師匠はお店を出店したばかりで、出店の立ち上げメンバーとしてインターンもさせてもらったのだが、これが本当に楽しかったです。
ベンチャーとはいつも不確定要素と共に走り、少数精鋭で自らの決断を正解にするために全力疾走する組織です。
師匠の出店もまた、不確定要素が多い中で場所選びから取引先の選定まで、何から何まで一緒に経験させてもらったことは非常に有難い経験であり、全てが自分の糧になりました。
おかげで、会社の人事評価も上がり、収入まであがりました。

事業家集団環境とは「15万の自己投資を強制される組織」「師匠に15万を献上する組織」「上が儲かり大半の人は養分となり借金をする」のように勘違いをする人も時々見かけるが、実態はそうではありません。
理解の浅さに驚くばかりであるが、僕は師匠に1円たりとも勉強代を支払っていません。
むしろ、インターンでの実績を買って頂き責任者として仕事を任され、師匠から業務委託料を頂いていた身です。
僕としては、業務委託料を頂いている以上、師匠の店の売上を立てるのは自分の仕事だとコミットして仕事をしていました。
同じように周りの仲間も皆、自分のために学ぶことを選択して仕事を全うしていました。
こういった人の話を聞かずに、養分にされているなどといって、外部の人間がやれ注意喚起だ、騙されるな、などといって騒ぎ立てるのは、やっぱり面白くありません。
もし、辞めた人間がそのようなことを発言しているのだとしたら、厳しく注意をしたいくらいです。

ちなみに、15万円という金額を店頭で商品を買うために使ったとして、その15万がそのまま師匠の懐に入ると思っている人が時々いたので、これを機に「違う」と明記しておきます。
物販というのは、物を仕入れて販売することです。
商品が買えるということは、事前に誰かが商品を仕入れているということです。
つまり、仕入れコストがすでにかかっています。
さらに店舗経営には家賃や人件費もかかります。
商品の売上がそのまま利益として手元に残ると考える人は、よほど経営知識のない人だと断言できるでしょう。
利益率が10%だとしたら1万5千円です。
毎月1万5千円すら師匠の懐に入れたくないという人は、そもそも学ぶことを諦めた方がいいと思います。
子供がいる親が、「月謝を払いたくないが子供にお稽古ごとをさせたい」などといえば、馬鹿者が、と言われると思います。
たった1万5千円で師匠から学べるのであれば、僕は喜んで財布を出す想いで学んでいました。

事業家集団環境は、実体験と共に起業準備のノウハウを一から学び、起業後も軌道にのせて事業が安定するまで、徹底的にサポートをしてもらえるため、起業したい人にとってはパラダイスのような場所です。
起業したい友人がいたら、間違いなく事業家集団環境を紹介すると思います。
セミナーはもちろん、個別Mtgや電話やLINE、メールでほぼ24時間のサポート体制が整っているからです。
師匠はボロ雑巾のように使えと教わったため、リアルにボロ雑巾にさせてもらった。師匠はいつ何時であれ、僕の味方をしてくれたし、師匠の持っているノウハウは全部教えてもらってきたと思います。
これほどまでに手厚いサポートを受けて、成功しないはずはないと確信しています。

 

事業家集団環境をやめた理由

事業家集団環境をやめた元メンバーがやめると決めたときの心の木のイメージ

さて、そんな僕がなぜ事業家集団環境をやめたのかというと、それがタイトルにも書いたように【訳あり】なのです。
パラダイスとも言えるコミュニティをわざわざ辞める人は本当におかしいと思うくらい、いい環境です。
にも関わらず、なぜ僕はやめたのか?

30をまもなく迎える時、僕はまた、25歳の時と同じように将来について考えていました。
5年間チームビルディングやインターンを通して人的資本が身につき、業務を請け負えるようになり、明らかに収入も上がった頃です。
師匠から学んでいる仲間は皆いい人が多く、おかげで友人も増えて仲間と一緒に事業の立ち上げを検討するようになりそれも面白かった。
正直、いいこと尽くしでした。

しかし、1つだけ、僕には納得できないことがありました。
それは、自分の事業計画に間に合っていないということです。
つまり、結果が追いついていないということ。

計画とは、自分の明るい未来に辿り着くための地図です。
しかし、地図をどれだけ書いても今いる位置が変わらなければいつまで経っても目的地には辿り着けません。
地図を書いたら目的地に向かって歩かなければならないのです。

僕の計画は完璧でした。
しかし、歩いても歩いても一向に次の地点にたどり着けないという現実もありました。
一生マサラタウンから出られないポケモンのサトシになった気分です。
何度チャレンジしても辿り着けない壁がありました。
それが、自分のパートナーを作るということでした。
僕と一緒に仕事がしたいというパートナーがあらわれなかったのです。
こういうことをいうと師匠には「パートナーはあらわれるものではなく自分が主体的に手を組むものだ」と言われるだろうが、僕はいつか自分にとって好都合のパートナーがあらわれると信じており、5年間でいろんな人に声をかけてみたものの、なかなかYESと言ってくれる人がいなかったのです。

30を迎えた時、僕のチームは僕を入れて1人だった。つまり、僕は師匠が作ったチームの仲間と一緒に仕事をしていたものの、僕の仲間はいませんでした。
そのことが僕をやめることに追いやったのです。
僕にはチームビルディングの才能がないと勝手に思い込んでいたのです。
それは僕を深く傷つけ、僕の自尊心が徐々に失われていくのを感じていました。
どんどん卑屈になり、周りと自分を比べ始め、「自分なんて」「どうせ自分は」と言って殻に閉じこもってしまいました。
40歳になっても師匠のように仲間に囲まれている姿が想像できず、自分はずっと1人だと思ってしまった。
だとしたら、40歳の時に、今と同じような思いを味わいたくない。

だから、やめました。
師匠に相談もせずに。事業家集団環境というコミュニティを、去った。

 

事業家集団環境をやめた僕が選ぶこれからの人生

事業家集団環境をやめた元メンバーがやめた後にいろいろ考えて決断したときの心の木のイメージ

果たして本当に僕には才能がなかったのか?

それは、やめた今、落ち着いて当時の自分を振り返り、全くもって間違っていたと断言できます。
間違っていると気付いたからこの記事を書き始めました。
当時の僕と同じ気持ちを味わっている人がいるかもしれないと思ったからです。
そして、その仲間たちに、君たちは才能がない訳ではない、才能をどのように発揮したらいいのかわかっていないだけなんだと伝えたいです。

事業家集団環境をやめたら疎遠になるという人や、仲間とは思われないという人がいるが、僕の師匠は全くもってそうではありません。
やめた後も元気にしてるのかと声をかけてくれ、誕生日にはささやかだけど、と言いながらブレゼントまで送ってくれました。
学ばせてくださいと自らお願いしたにも関わらず、最後は何も言わずに立ち去って、師匠にしてみれば不義理なやつとしか思えません。
しかし師匠は、「今一緒に仕事をしている、していないは関係ない。君は自分の立ち上げを支えてくれた仲間であることには変わりないから」と言ってくれたのです。
一度恩を感じたら、一生かけて恩を返せ。一生感謝するのだというのです。
僕は涙が止まりませんでした。

そんな師匠との関わりを通して気付かされたことがあります。
それは、僕は「事業家集団環境をやめた」のではなく、「自分の人生を頑張ることを諦めてしまった」のだということです。

自分には才能がないと思い込み、向いていないと言ってやめたのだが、そもそも、事業家集団環境に入ったから頑張る、やめたから頑張らなくていい、なんてことはありません。
一生自分の人生なのだから、どこにいたって頑張らなければならないのです。
当時の自分の壁は、事業家集団環境にいたからぶつかった壁ではなく、僕の人生かけて解決しなければならない壁だったのです。
当時の僕はそのことがわかっていませんでした。
事業家集団環境をやめれば楽になれると信じていたのです。

才能は、ある、なし、で測るものではなく、自分が自分のことを一番理解し、自分の才能を発揮させてあげられているかどうかなのです。
僕は才能がなかったのではなく、自分の才能に気付いて発揮させてあげられなかっただけでした。
そのことに気付いた僕は、図々しく師匠に報告した。当時の僕が至らなかったことも、伝えさせてもらいました。
すると、師匠は、「リセット&GO。人生は長いのだから、この先どういう人生にしたいか、理想を描いて手に入れたらいいよ。」

25歳、初めて師匠に出会った時に言ってもらった言葉と同じでした。
結局5年経ち、僕の人生は振り出しに戻ったのだと気づきました。

そこで僕は考えました。
次は、途中で諦めるようなことはしたくない。
今までの経験を最大限活かせる方法はないか?
師匠や、師匠が大事にしている仲間たちに、お役に立てることはないか?

そして決めたことがあります。
僕は、事業家集団環境をやめた人として、事業家集団環境で頑張っているがなかなか成果になっていない人や、もしかしたら騙されているのかもしれないと不安な人、やめるかどうかを悩んでいる人たちに、エールを送るために頑張ろうと決めました。
やめた人に相談しようとするのだから、師匠からは「相談先を間違えている」と叱られる人たちだと思います。
しかし、叱られることをわかっていながらでも誰かに相談したい、と思う人はよほど切羽詰まっているのではないでしょうか。
僕はそういう人たちを救いたいです。

僕は、事業家集団環境をやめてしまった。
だから安心してください。
引き止めることはできません。
僕もやめた人間だからだ。

しかし、当時の自分と同じように後悔はしてほしくないとも思います。
未来が暗いままの状態で決断してほしくないのです。

僕の後悔は、当時の僕と同じ気持ちになった人たちが、少しでも未来に希望が持てるように力づけをすることで報われるのではないか。
自分勝手で申し訳ないが、僕はこのように仮説を立てて走り始めることにしました。
こんな僕にでも役に立てることがあればいつでも連絡をくれたら嬉しいです。

 

「諦めるな。諦めたらそこで試合終了だ。」